整体術の歴史
整体術について
骨格を手技によって矯正するという発想や方法は、古くは紀元前のエジプトにそのような記録が残っているそうです。その他、世界各地に骨格の矯正方法が研究されていた形跡が数多く残されているようですが、特定の地域でその技術が連綿と受け継がれることはあまりなかったようです。それは、世界中、いたるところで戦争や政治的混乱が継続的に発生していた。昔の人々は寿命が短かった。記録を残す手段がなかった……といったことが理由のようです。
日本での整体術(骨格矯正)の歴史は武術(最小のエネルギーで相手に最大の損傷を与える術・古武道)の発展と深く関係しています。
日本の武術の始まりは「古事記」や「日本書紀」に剣・刀・弓などの記述があるため、この頃、何らかの武術が発生したと考えられています。
その後、室町・戦国時代になり、国内各地での戦闘が増え、高度化したため、必然的に護身術・戦闘術としての武術の研究が進み、この時代に剣術・柔術・弓術等の流派が起こったとされています。同時に武術の練習や実践で負傷する者も増えたため、武術と医術は表裏一体として治療法の研究も進みました。そのような流れの中で整体術(骨格の矯正・筋肉の調整)が編み出されていったようです。そして、日本は島国という地理的要因から、その技術はとぎれることなく、何百年と長い間、連綿と明治の初めまで受け継がれてきました。江戸時代に入り、戦乱が収まると、武術は人々の余暇の楽しみ、教養の一つとして世間に受け入れられます。
そして様々な流派が生まれ、発展していきました。(江戸時代末には、日本中に千以上の流派があったようです。)町や村の中には武術の道場が多数あり、昼間は武術を教え、夜は治療をする、といった形で整体術は世の中に広まっていきました。
しかし、明治に入り、国策として西洋医学が取り入れられ、医療行為は医師免許が必要となりました。日本の伝統的整体術は非科学的であると圧力をかけられ、多くの流派は姿を消し、細々といくつかの流派が残り現在にいたっています。日本で生まれ育った伝統的整体術は日本人の体形・体質に適しており、昨今の健康志向の要望にも十分対応できる古くて新しい優れた技術だと思います。